2009年7月25日
二神選手、ついに冥球界入り!
2009年7月25日、アツオこと二神淳選手が、
ワイルドペンギンズとの一戦で通算100本目となる安打を放ち、
AMIGOSの殿堂、冥球界入りを決めました。

冥球界とは・・・
にこたまAMIGOSに所属する選手たちの殿堂。
打者として通算100安打、もしくは投手として
通算30勝をあげれば加入が許される。
AMIGOS史上初の三冠王に輝いた二神選手が
ついに通算100安打を達成、冥球界入りを果たしました。
ここで、二神選手のにこたまAMIGOSにおける活躍を
振り返りってみましょう。
1年目のAMIGOSは年間を通してたった2勝(7敗)しか
出来なかった超弱小チームだったのですが、
2シーズン目となる2000年、二神選手と斎藤選手が加入し、
年通算8勝3敗と大きく勝ち越すほどになりました。
彼らの加入でまず大きく変わったのは守備力の面でしょう。
外野の安定がAMIGOSの野球を変えたことは間違いありません。
二神選手が初めてAMIGOSに参加したのは
AMIGOS結成2年目の開幕戦でした。
3月18日、二神選手はいきなり開幕投手としてマウンドに上がり、
6回、7回は多少バタバタしたものの見事に完投、、
AMIGOSに史上3回目の勝利をもたらしたのでした。
二神選手の参加のきっかけは山地選手による勧誘でした。
職場の同僚であった山地選手が二神選手をスカウトしてきた理由は、
二神選手の野球の腕前に期待したというよりも、
飲み会における芸風に惚れ込んでスカウトしてきた、
というのが巷の噂でありますが、これは本当の話だったようです。
二神選手は、いわゆる芸人プレイヤーの流れを汲む選手で、
野球と同様に、いや、それ以上に、飲み会における
エンターテイナーっぷりで、メンバーの心に
強烈なインパクトを与え続けてきたと言えるでしょう。
実際、野球選手としての、初年度の二神選手は、
それほど目立った活躍ではありませんでした。
ある意味では、予想の範囲内の活躍だったわけです。
投手として2勝を挙げたのは立派だったものの、
打つ方では打率2割ジャスト、4安打に留まりました。
二神伝説の幕開けは2年目の2001年でした。
10安打し、 打率はなんと4割。
大沢選手を捕らえきれず、惜しくも首位打者は逃しましたが、
打点、盗塁部門でも2位、投手としても25イニング超を投げ、
フル回転の活躍が高く評価された結果、
この年の最優秀選手に選ばれたのです。
単なる「汚れ芸人アツオさん」という存在から、
「歌って打てる芸人選手アツオさん」へと
みんなの認識が変わっていったのでした。
ただし、歌無しでは、やはり最優秀選手賞は無かっただろう、
というのは本人もその年のインタビューで認めていた通りです。
2001年に大活躍した二神選手でしたが、
しかし、野球選手としての彼の迷走が始まったのも
ある意味でこの年から、ということが言えます。
みんなの期待が強すぎてプレッシャーとなってしまったのか、
いわゆる「ミスター隔年」という、不名誉な称号を与えられてしまいました。
この後、浮き沈みの激しい成績がずっと続いていくのです。
最優秀選手に輝いた翌年の2002年シーズンは、
打率.174と極度に低迷したかと思えば、
その翌年の2003年にはあの大活躍だったわけです。
2003年は二神選手が現在までで最も輝いたシーズンでした。
その時の二神選手の活躍ぶりを象徴するシーンが
4安打(史上最高)、9打点(史上最高)、3本塁打(史上初)の
9月27日、Theアロハ戦ではないでしょうか。
3本目の本塁打は満塁ホームランだったというところが
もはや神懸っていたとしか言いようがありません。
シーズンを通して活躍し、打率..460、3本塁打、26打点と
目を見張るような成績を修め、三冠王を達成、
再び最優秀選手に選出されることになりました。
生涯で2度も最優秀選手に選ばれたのは
この時点では二神選手のみ、現在も菰田選手と
合わせて2人しかいない記録なのです。
また、この年の26打点という記録は未だに破られていない
一つの金字塔として輝き続けているのです。
二神選手は、単に選手としてだけではなく、
チームの運営にも大いに尽力してきたことは、
私たちの記憶に今後何年経ってもなお鮮明に残ることになるでしょう。
2007年の代表である田村選手が早々に
チームを去るという緊急事態において、
火中の栗を拾った二神選手は代表代行としてチームを牽引、
その翌年も、今度は正規の代表としてチームを引っ張ってくれました。
特に2008年という年は、AMIGOS結成10周年のメモリアルイヤーでした。
二神代表に率いられた運営委員の皆さんが一丸となって
グラウンド取りに奔走し、実現した紅白戦は
モダンAMIGOSvsクラシックAMIGOSという夢舞台となり、
参加者全てにとって生涯忘れえない思い出となりました。
そんなこんなで、二神選手の活躍や貢献は挙げれば切りがないのですが、
私が最後にあえて強調したいのは、二神選手を語る上で
忘れてはいけない記録がもう一つある、ということです。
それは、二神選手が入団以来10年間、ずっと規定打席を達成している、ということです。
これは単に野球の技術や歌唱力があるというでは成し遂げられない偉業といえるでしょう。
継続は力なり、と言いますが、二神選手が背中で語り続けたきたメッセージを
我々はもう一度、噛み締めるべきではないでしょうか。
隔年でしか活躍しない二神選手が、それでも冥球界入り出来たのは、
やはりこの「出続ける」というスタンスの賜物であると思います。
鉄人・二神選手が今後も長く活躍し続けることを心から期待しています。
以下に、国内、海外の著名人たちからの
祝福のコメントを、一部抜粋して掲載します。
![]() |
二神選手の冥球界入り、 これからもアミーゴスの友愛精神を |
![]() |
アツオ、ついにやったんだね。 それくらいの(偉業という)ことですよ。 |
![]() |
二神選手,真的恭喜恭喜。 |
![]() |
Atsuo the two of us need look no more Atsuo you're always running here and there |
![]() |
あつお君!凄かです! |
![]() |
あの子は芽が出る前から見所あるて 言うてたん覚えてるやろ? 私からしたら、やっぱりなって感じよ。 あの子やったら、この曲歌てもええかなって、 ぱっと見たときに閃いたもんね。 でも、歌手が本業やなかったとは |
![]() |
・・・。 アツ君ならやれるって信じてたから。 |
![]() |
こちら「きぼう」です。 世界中の話題というだけじゃありません! もう宇宙規模の話題になってますよ! |
![]() |
アツ君がこんな有名人だったなんて 六郷で試合があったときは、 |